うつくしい街だった。一面の白は太陽の光を湛え反射し、銀色に輝いている。空気はしんと冷え、清潔だった。  広場からは、子供たちの甲高い笑い声や、雪を踏みしめる何処か懐かしい音が絶えることなく、耳を通し、アニスの脳を刺激した。柵と背中の間でクッションに成っていた腕は痺れて冷えて感覚を失くし、雪に埋もれていた爪先は硬いブーツと擦れ、じんじんとした痛みを齎した。それでも、アニスはその場所を動こうとは思わなかった。隣に立つ男が歩き出し宿屋の扉を開けたのなら、直ぐにでもその後を追い、暖かなロビーで温かなお茶でも飲めるのにと、アニスは考える。男、ジェイドの、蜂蜜漬けの林檎みたいな色の髪の先がぱらぱらと揺れた。
 ぼんやりと空を見上げると、風に舞い上げられた細かな雪が光を反射し、きらきらと輝いていた。清潔な空気の、うつくしい街だ。だが、アニスはこの街が嫌いだった。此処はジェイドが生まれ育った街で、アニスの知らないジェイドの記憶が彼方此方に散らばっている。この街では、何を見ても新しさを憶えるアニスとは反対に、ジェイドは何を見ても何かを思い出す。アニスには其れが厭わしかった。有る筈も無い記憶が疎ましい。
 過去と未来のヴィジョン。恐らくはそのどちらも共有することはないのだろうと、ぼんやり考える。過去とは触れられない事実であり、未来とは辿り着けない終着点であるとするならば、現在が過去に成り未来に続いていくという循環しない一本道。現在がぼろぼろと零れ落ちていく。いつまで見ていられるんだろうか同じヴィジョン。
 「ねぇ、大佐。何見てるんですか?」
 「嫌ですねぇ。見るものなんて、此処には雪しかありませんよ」
 「そうじゃなくて、その雪は、どんな風に見えてるんですか」
 「ああ、真っ白くて綺麗ですよ。雪も、偶になら良いんですけどねぇ」
 滴るように紅い眼がレンズの向こう側でのんびりと瞬く。ふたりで居るのに、今、その色をその瞼を見ているのは自分ひとりきりなのだという事実にアニスは絶望的な気分に成る。一緒に居るのに共有できない。現在。眼の奥がずきずきと痛む。共有できないならせめて、今までとこれからの空白を埋められるだけの情報が欲しい。




 「じゃあ、どれくらい白い?」
 「ねぇ、どれくらい白い? どれくらい綺麗? どれくらい、」
 「どういう風に見えてるんですか大佐の眼に世界は」
 「同じものが見たい、同じ風に感じたい」
 「ねぇ、現在のヴィジョン」
 「何を見てるの」




 普段なら厭う、頑是無い子供の様に駄々を捏ねる自分を、愚かだと思う。白い息を吐く。紅い眼がぱちぱちと瞬きをして決定的な敗北を突きつける。






 「アニス、貴女、もしかして私を理解したいんですか?」




 アニスは、ぽつりと呟いたジェイドの言葉に打ちのめされた気分に成る。全面降伏だ。
 そう。理解したいのだこの度し難い男を。この男の思想、記憶、傷口に触れて見たい。それはきっと、錆びたナイフで肉を抉られる様な痛みを伴うだろうが、それすらも厭わないと思う。本望。解体して咀嚼して飲み込みたい。この男を、アニスはアニス自身の一部にしてしまいたいのだ。理解などと言う意識の生易しい同化では足りない。くっついて、癒着してしまいたいのだ。






 「可笑しいですねぇ」
 「理解なんてものは所詮、ひとの願望に基づく幻想に過ぎないと、誰よりも良く貴女が知っていた筈なのに」














06,03,14